遗爱女子高等学校(遺愛女子中学・高等学校)

本校的教育目标是以基督教信仰为基础,培养学生诚实、乐于奉献的精神。
在刚刚开放的明治时期,美国基督教传教士MC哈雷斯夫妇游览函馆的时候,主张女子教育的必要性,并且迈出了时代性的一大跨越,建立了“遗爱”。
之后第4代校长所提倡的四大精神“信仰、牺牲、奉献”一直作为遗爱的教育理念基础沿承着。
本校の教育目的は、「キリスト教の信仰に基づき、神の前に誠実に生き、犠牲と奉仕の精神によって、すべての人に仕え、神と人とに愛される人間の育成」です。
開港間もない明治のはじめ、アメリカ人宣教師M.Cハリス夫妻が函館を訪れ、女子教育の必要性を説いたものをきっかけとして、大きな一歩を踏み出した「遺愛」。そして遺愛の礎となる「信仰・犠牲・奉仕」の精神を、第4代校長ミス・デカルソンが提唱しました。
開港以来、様々な異国文化を導入してきた函館に、あるアメリカ人宣教師夫妻(M・Cハリス夫妻)が訪れたのは1874年の事でした。着任早々、ハリス夫人は、当時はまだ遅れていた日本教育の現状を目の当たりにし、特に女子教育の必要性を強く感じました。そこで婦人は、アメリカで発行されているメソジスト監督派教会婦人伝道局の機関誌に、現状と学校が必要であることを報告しました。
ちょうどその頃、アメリカのカロライン・ライト夫人は悲しみに暮れていました。最愛の娘を病気で失ってしまったのです。ライト夫人はハリス夫人同様、敬虔なクリスチャンでした。
ハリス夫人の書いたその機関誌の記事は、ライト夫人の心を揺り動かしました。
ライト夫人は昇天された愛娘への祈りと神へのご恩に報いるために、そして良き奉仕として、愛娘の教育資金にとためていたお金を献金として申し出たのです。
ハリス夫人が来函してから8年後、1882年、元町の高台に洋風の校舎が開校されました。今の遺愛幼稚園のある場所です。ライト夫人の名をとって、校名は「カロライン・ライト・メモリアル・スクール」とされました。これが遺愛学院の始まりです。関東以北の学校としては最初の開校となりました。
最初は6人の女学生からのスタートでした。その後、幼稚園の併設、校舎の現在地への移転、学科新設など学制改革を重ね、今日に至っています。
遺愛が、一貫したキリスト教主義であること、女性として、人間としての教育を大切にしているのは、こうした二人の意志を受け継いでいるからなのです。
遺愛の母であるハリス夫人・ライト夫人の肖像のレリーフは学校のほぼ中心にあるホールに飾られ、毎日遺愛生を見守っています。
普通科一般コース
●系統別カリキュラムでめざす進路に対応
一般コースは大学・短大の進学はもちろん、看護学校などの各種専門学校や就職といった多様な進路に対応できるように、2年生から系統別にカリキュラムを組んでいます。たとえば、文理系は特別進学コースに近い単位数で英語、数学、理科を強化。文系では英語科に近い単位数で英語、国語、地歴・公民をフォローします。選択科目の中には、パソコン実習や簿記などの商業科目も設定されており、就職希望者をサポートしています。さらに、努力次第では2年進級時に特別進学コース・英語科への転科・転コースも可能です。
●進学実績も急上昇
一般コースでは多種多様な進路に対応できる工夫がなされていますが、いちばん大事なのは生徒一人一人に対する個人指導、個人アドバイスと言ってよいでしょう。進学希望者に対しては、国公立大学・私立大学・短期大学・高等看護学校・各種専門学校など、それぞれの進路に合った受験指導を授業の枠を越えて行っています。また就職希望者に対しても、就職ガイダンスや就職講座を実施するなど、充実した就職指導を行っています。一般コースには、生徒の「やる気」に応える体制がしっかりと整っています。
●さらに上をめざす生徒には講習も
一般コースも特別進学コースや英語科と同じく、徹底した講習体制を整えています。また大学や看護学校など、それぞれの進路に応じた講習も行っています。本人のやる気しだいで夢は大きくふくらみます。
普通科特別進学コース
●現役突破のための充実したカリキュラム
特別進学コースは国公立大学へ現役での合格をめざしています。そのために主要5教科で標準単位数を上回る授業時数を確保しています。さらに放課後の講習で基礎力を強化します。また2年次からは目標とする進路に応じて、文系と理系のコースに分け、受験教科を集中的に学習します。
●それぞれの夢を目指して
人は一人一人めざすものが違います。どの大学に行きたいか。どんな職業に就きたいか。どのような人生を送りたいのか。それぞれの価値観を大切にし、その夢の実現に一歩でも多く近づけること。これが遺愛の教育スタイルです。大学全入時代と言われていますが、人気のある大学や学部は志望者がますます増え、競争率も高く合格は難しくなっているのです。そんな状況の中で遺愛の教育スタイルは生きています。具体的には、
- 1・カリキュラムの工夫
- 2・日常的に行われる授業研究
- 3・講習体制の整備
などがあげられます。めまぐるしく変化する時代の流れを読み、常にベストな形をめざしています。
一方、特別進学コースでは成績を上げる事だけを追求しているわけではありません。礼拝やたくさんの学校行事、いくつかのユニークな取り組みを通して自分を磨きあげることを大切にしています。クラブ活動も積極的に奨励して、勉強以外の取り組みにも重きを置いているのです。様々な経験を通して自分を作り上げ、そこから自分の生きる道を確たるものにしてほしいと考えています。
一人一人が描いたそれぞれの夢を遺愛では最大限にサポートし、さまざまな角度からその夢の実現のお手伝いをしていきたいと考えています。
英語科
●北海道内では先駆的存在の英語科で国際人への一歩を
1969年に新設されて以来、道内の英語科をリードしてきた本科では、毎年、教育・音楽・航空など各界で活躍する数多くの卒業生を出しています。3年間の総授業数の実に約3分の1(週12時間以上)が英語教育にあてられています。英文解釈・文法・英会話はもちろん、外国事情や英語表現という科目を通じて、グローバルな視野で世界を見つめる生徒の育成に努めています。
●目標は東京外国語大学などの国公立大学や難関私立大学への現役合格
英語科では早慶上智、ICUなど難関私立大学と国公立文系大学への現役合格を目標に英語・国語を重点的に強化しています。2~3年次には、文系の科目をじっくりと掘り下げて学習しています。駿台オンデマンド講習や放課後講習にも積極的に参加しています。その成果が都留文科大学など国公立文系大学やICU、上智大学、慶應大学、明治大学、同志社大学、東京女子大学などの難関私立大学への現役合格となってあらわれてくるのです。
●実践的な会話で活躍の場を広げる
英語科では2人のネイティブ(外国人)の専任教員から、直接英語指導が受けられます。ペーパー上では体験できない実践的な「本物」の英語力が身に付きます。その成果が英語検定の3級以上に毎年多数の合格者を出すという形であらわれています。キャビンアテンダントや海外ツアーコンダクターが同程度の語学力を必要とする英検2級以上。英語科では卒業までに全員2級以上の合格をめざしています。
●スピーチコンテストでも全道・全国大会へ出場
ここ数年英語科を中心に複数の生徒がスピーチコンテストで入賞。全道・全国大会で活躍しています。
- 1998年 北海道高等学校英語弁論大会 全道優勝
- 2001年 高校生英語スピーチコンテスト 全国大会出場
- 2002年 北海道高等学校英語弁論大会 全道4位
- 2003年 第15回 全国高校生英語スピーチコンテスト 全国大会出場
- 2008年 高校生英語スピーチコンテスト 個人優勝 団体優勝
- 歴史・沿革 1874~2006
1874(明治7年) |
アメリカ・メソジスト教会牧師、M・Cハリス夫妻来函。 |
1876(明治9年) |
ハリス夫人の「如何にして婦人を救うべきか」~ウーマン・フレンズ紙に掲載。 |
1878(明治11年) |
アメリカよりプリースト女史が来函、下地をつくる。 |
1881(明治14年) |
C・R・ライト夫人(駐独・アメリカ公使夫人)の献金で、 |
1882(明治15年) |
文部省認可の正式な女学校として2月1日開校~校名 |
1885(明治18年) |
校名を「遺愛女学校」と称する。 |
1891(明治24年) |
予科設置。小学生も入学させる。 |
1892(明治25年) |
予科を尋常小学科に変更。(1908年、廃止) |
1895(明治28年) |
幼稚園併置。 |
1900(明治33年) |
予備科設置。(1914年、廃止) |
1908(明治41年) |
湯川通り(現校地)に新校舎・寄宿舎・宣教師館完成。校歌制定。 |
1915(大正4年) |
校章制定。鈴蘭会(現生徒会の前身)発足。 |
1924(大正13年) |
大縄町に第二遺愛幼稚園発足。 |
1930(昭和5年) |
セーラー服の制服制定。 |
1934(昭和9年) |
函館大火。被災児童救援のため、鈴蘭園託児所開設。 |
1935(昭和10年) |
講堂完成。学校新聞「聖鐘」創刊(現「遺愛新聞」の前身)。 |
1937(昭和12年) |
日中戦争始まり、この頃より、軍国主義的諸行事への参加始まる。 |
1941(昭和16年) |
太平洋戦争始まる。学校報国団結成。 |
1944(昭和19年) |
「遺愛高等女学校」となる。 |
1945(昭和20年) |
校舎・軍隊に接収され、的場国民学校へ移転。(4月) |
1947(昭和22年) |
新制中学校発足。 |
1948(昭和23年) |
新制高等学校発足。「遺愛女子高等学校」及び「付設中学校」と改称。 |
1950(昭和25年) |
遺愛P・T・A発足。 |
1954(昭和29年) |
新制服(現行)制定。 |
1963(昭和38年) |
生徒会機関紙「鈴蘭」創刊。 |
1969(昭和44年) |
英語科新設。 |
1972(昭和47年) |
「P・T・Aだより」発足。 |
1980(昭和55年) |
創立百周年記念新校舎完成。 |
1981(昭和56年) |
法人名を「遺愛学院」とする。 |
1982(昭和57年) |
遺愛旭岡幼稚園開設(第二幼稚園発展的解消)。(4月) |
1985(昭和60年) |
講堂にパイプオルガン設置。 |
1988(昭和63年) |
普通科特別進学コース設置。 |
1991(平成3年) |
中学校~中・高一貫の新体制発足。(4月) |
1992(平成4年) |
中学校・新制服制定。(4月) |
1996(平成8年) |
創立百十五周年記念東館完成。(11月) |
1997(平成9年) |
本館登録有形文化財に指定。(5月) |
1998(平成10年) |
遺愛学院寮別館完成。 |
2001(平成13年) |
ホワイトハウス 国の重要文化財に指定。(6月) |
2002(平成14年) |
創立百二十周年記念式典。(9月) |
2004(平成16年) |
創基百三十周年記念式典。(11月) |
2005(平成17年) |
謝恩館 有形登録文化財に指定。(3月) |
2006(平成18年) |
新体育館完成。(4月) |